アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「舞台」のブログ記事

みんなの「舞台」ブログ


「サロメ」公演終了

2012/06/19 01:13




「サロメ」観てまいりました。

舞台の観劇も初めてなら、何といっても多部さんの実物をこの目で見るのも初めての私が、今のこの気持ちをどうやって言葉にして表せばよいのか・・・。
みなさん知ってますか?多部未華子さんってほんっとうに美しく、可愛い方なんですよ。


私が観ることができたのは16日です。1日2回公演の1回目の方でした。
この日は千秋楽の前日だし、多部さんの体力的にも精神的にも相当きついであろう日の2回公演だし、その1回目なんて、コンディション的には微妙だろうな〜と、観る前には思ってました。
が、当然見終わるとそんな不埒な杞憂は吹っ飛びます。
舞台全体を終始覆う緊張感。多部さん、他の演者さんたちのセリフ、動きのテンポ、キレの良さ、全て完璧に思えました。(まあ他の日と比べようがないから当然なんですが)

2回目の公演のことを考えて多部さんが体力をセーブするなんてことは、よもや無いとは思いつつ、まあ正直、観る前には少しそのよもやが頭をよぎりましたよ。
でも観終えるとそんなのも吹っ飛びます。ごめんなさい多部さん。

私の席は1階18列目でした。
中央の舞台に立っているときの多部さんの表情は、見えなくはないですが微妙な変化まではわからないです。
でも手前に設置された階段状の舞台の上に来たときには、多部さんの多彩な感情の機微がしっかりと見えました。
私は何度か多部さんと目が合いましたよ。
サカモトさん、よく来てくれましたね、と、多部さんが目で合図してくれました。
バカですね。許してください。自覚はありますから。


多部さんのサロメはすばらしかったです。
古典の内容を変えることなく、可能な限り、現代の私達でも受け取ることができるようにアレンジされつつ、作品の核となる背徳性や涜神性までも過激に表現された舞台。
この舞台で、サロメはそれらの罪の元凶であるにもかかわらず、瑞々しく清新なイメージのままに、観終わった後でも鮮明に記憶に残ります。

これを観たからには、もう私はビアズリーのサロメは見れません。


その作品自体から求められる役のイメージの突出した把握力。
そしてそれを全身を使って隙なく具現化できるその表現力。
多部さんにおいて何度となく感心させられてきたその能力は、やっぱりご本人が演じてる姿を直で見ると凄いですね。

また機会があるといいなー・・・。





記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 10


「サロメ」

2011/05/12 05:20



来ました。舞台です。

「サロメ」です。オスカー・ワイルドの世界的古典の戯曲です。
公演は2012年の6月です。これだけ先のことならどんなにズボラなファンでも日程調整して観に来れるだろ、っていう多部さんの思いやりに感動です。めずらしくオフィシャルサイトで真っ先に教えてくれました。

タベシャでの皆さんへの嬉しい報告とはこれのことだったんですね。
と、いうことは多部さんも「よっしゃー!舞台キター!」ってテンションなんでしょうか。
と、いうことは多部さんはあと一年と二ヶ月は女優業をやってくれるわけですね。とりあえず私にとってはそれも含めて嬉しい報告ということになります。


19世紀末に書かれた戯曲の古典ということは、前世紀から現在まで百十数年の間、世界中のあらゆる国の舞台で演じられ、あらゆる評価、解釈も出揃ってるんですよね。
これだけ予習時間があればいろいろと勉強できます。これにかぎってはもう原作読まない方がいい、なんて言ってられないかと思います。
いろんな資料で予習をして、十分にわくわくそわそわしたいと思います。

「デカワンコ」から「真夜中からとびうつれ」
で、年末にはまた「ワンコ」になって「葵の上」
それから「サロメ」

いくらわくわくそわそわしても間違いなく足りません。このスケールは、いつまでたっても把握できる気がしませんから。



とりあえず、原作読みます。
10代〜20代の間にスルーしたから、もうこの年齢になったら一生読むことはなかったであろうこの作品を、読める機会をもらえて嬉しいです。





記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 8


「農業少女」

2010/05/31 20:06



「農業少女」を観た。

当然、WOWOWで放送されたテレビ画面の中の、なんですが。

そして、まいりました。
今、胸の内は大後悔の嵐です。
これの生の舞台を見逃したことは、多部さんファンとしてアウトです。
私はファンを辞めます。
今までありがとうございました。



私は今まで舞台演劇というものに全く興味を持ったことがない。

田舎育ちなので気軽に観に行けるような環境にもいなかったし、友人の中にも特にお芝居好きな人はいなかったから話題にもしなかった。
そういう人生を過ごし、中年になるまできてしまった私にとって、舞台演劇という表現形態は、無ければ無いで全く困らないもののひとつだ。

だから私には、この「農業少女」が演劇として王道に近いものなのか(さすがに私もこれがど真ん中の王道とは思いませんが)、アンダーグラウンドなものなのかもよく分からない。

でもこのお芝居は面白く観た。(生ではないので”観た”と書くべきではないのでしょうが便宜上こう書きます)

この「農業少女」の舞台はもの凄く空気が濃密なものに感じた。
まるでひとりの人の頭の中で渦巻く観念を覗き見してる様な。
私は小さなモニターで見たので覗き見してる感じが強いのかもしれない。
劇場で観た方はひとりの男の観念を体験してる様な感覚になるのかな、と思った。
演技者と同じ空気を呼吸してるし、同時進行する時間の緊張感も伝わるだろうから。
それにこのお話は限られた舞台の空間上で時間の流れも場所も錯綜する。
さっきの場面に自分の考えを巡らせてたらもう次の場面展開についていけなくなりそうで焦る。結果、舞台のエネルギーに引きずられるように観てしまう。

ひとりの人の頭の中、とは、もちろん野田秀樹さんであり松尾スズキさんであると思った。ひとりじゃないけど、いろいろ錯綜するからそう感じてしまう。でも主に、作者である野田秀樹さんの頭の中なんでしょうね。

自分の観念が物語として形を成して、人の手によって磨かれて、生身の人間が目の前で演じるのを見た作者の気持ちってどんな感覚かを想像してしまった。

もし自分の観念どおり、もしくはそれを上回る出来だったりしたら、それはとんでもない快感なんじゃないだろうか。

自分の観念の少女が生身の存在になって目の前に現れてくれるんですよ。おじさん方。
そしてそれが多部さんなんですよ。




私は過去、多部さんの出演作品を観て「演技が上手い」などと思ったことが一度も無い。

多部さんが、一般的な意味でいうところの演技の上手い女優さんなのかどうかもハッキリ言ってよく分からない。もちろん下手だと思ったことも(ほとんど)無い。そこにはあまり関心が無い。
ただ多部さんが画面の中に存在していればそれでよかった。ただ、セリフを喋り、動くだけでそこに特別なものを感じていた。

「鹿男あをによし」で多部さんのファンになって過去の作品を遡って観て夢中になってた頃、私が何となく思ってたことは、この人ほど演じようとする作意が感じられない人は見た事がない、というものだった。
作意が感じられないとはどういうことか、有体に言うと上手くやろうとする下心が全く感じられない、となる。
もちろん、役者は上手く演じるのが仕事だし、「君に届け」のピン先生の名言にもある「下心も心だ、恥じることは無い」を、私も全面的に肯定する者だから、多部さん以外の私の好きな役者さんが上手くやろうと意図して演じてる様に見えても、その上で感動させられることもたくさんある。
言ってみればそれが通常だし、普通なことだ。
だから多部さんを見たときに、あれっ?となる。この子なんか変だな、となる。
この人はただ喋ってる。ただ動いてる。ただ睨んでる。そして圧倒的に存在してる、と思ってしまう。
多部さんが聞いたら怒ることなんでしょうね・・・。私だってちゃんと考えて演じてたんです、って。


実を言うと、私は密かに、多部さんが「本気で女優としてやっていきます」なんて言うときが来なければいいな〜、なんてずっと思っている。
「女優なんて続けるかどうかわかんないです」って言っていてほしいと思っている。

なぜそんなことを思うのか。
それは、かつて多部さんがそういう人だったから。
そういうことを言っていた頃の多部さんの作品に、どうしても惹かれてしまうから。

多部さんは、私の感じた、この人には演じようとする作意が無い、という思いに、ちゃんと理由付けをしてくれたのだ。
「演技のことはよく分からない」とか「何も考えていない」という発言で。それに私は喜んでいた。

ダメですね、後ろ向きで。ファン失格です。



二年前の春から夏にかけての時期、「鹿男」でファンになって、過去の多部さんの映画やドラマを探して、画面に食い入るように見てた数ヶ月の”多部ラッシュ”期間、私は、なんかずーっと浮かれてた様な、ずっと微熱が続いてた様な状態だった。
実に幸せなほろ酔い状態。・・・仕事への弊害が多少あったけど。

その期間が過ぎて、「ヤスコとケンジ」が始まり、「つばさ」「フィッシュストーリー」「不毛地帯」と見て来た。
もちろん全部良かった。楽しみました。

でも・・・いつしか微熱は平熱に戻ってた。



しかし今回の「農業少女」を観て、久々に二年前のあの多部ラッシュ期の興奮がよみがえりました。

多部さんはその容赦ない存在感を無造作に開放してくれてました。大放出。松尾さんもおっしゃってたけど、リミッター外れてます。もう演技以前の何かです(すいません、私の主観です。ちゃんと演技はされてました)
テレビの画面でこれなんですから、生の舞台を観た方は・・・想像したら怖いぐらいです。それぐらい多部さんの身体、動き、表情は生々しい。日常ではあれをちゃんと仕舞って生活できてるのか心配になるぐらい。

百子という役も良かった。やはりあれだけ戯画化されてると、女の子個人としての人格の縛りは取り払われる。多部さんは百子の様な女の子として百子だった。

この観念的なお話は、多分私なんかでは読み取れ切れない高度な作意の積み重ねがあり、想像力があり、観るものを巻き込んでいく力があって、小さな画面でだったけど、舞台演劇の魅力を少しだけ垣間見させてもらえました。
笑わされているうちに行き詰まりの破滅の展開に導いてくれる松尾さんの演出+四人の役者さん達の技術はとんでもないものです。

作者の観念上の企みは、最後に百子を壊してしまうことで完結しました。
私はこの舞台の観劇者として不適格なのかもしれません。
観終わった私の印象に残っているものは、壊れるどころか、以前の様に全く企みの感じられない多部さんの、ただ生き生きとした存在感のみなんです。

だって「乳つついたら3千円でっせー」って。野田さん、すごいです。

・・・私の見方、間違ってるのかもしれませんが・・・まだまだ何回も見直してみます。




今回、若干書きにくい内容を書くために一旦ファンを辞めました。

でも、書き終わったのでまた多部さんファンに復帰します! 

多部さん大好きです。






記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 12


トップへ | みんなの「舞台」ブログ

えくぼと鹿と魚の子 舞台のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる