えくぼと鹿と魚の子

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<<   作成日時 : 2010/10/14 13:49   >>

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俺は死に場所を探していた。
特にロマンチストの自覚があるわけではないが、他人に迷惑を掛けない手段を考え、自宅や街中で死んだ人間の後始末を想像すれば、死に場所として山や海の方に意識が向くのは自然なことだ。そして山か海かでいえば俺は海の方が好きだった。

俺はあても無くさまよい行き着いた海岸沿いの小さな町に数日間宿泊し、飛び降りるのに手頃な断崖を探しながら、毎日、ただボンヤリと砂浜や岩場を歩き回っていた。

死にたい奴の理由なんてものは、いつでもどんなときでもありふれている。
身勝手で自己中で、話を聞いてみれば大抵くだらない。
俺の場合だってそうだ。
会社が潰れた。友人に裏切られた。女に振られた。そんな誰にでも起こる出来事を並べ立てて、こんなはずじゃなかった、と、喚き散らし、世を恨む。
そしてそんな悔恨にも疲れ果て、周りに誰もいなくなり、金も無くなれば、もうやる事は何も無くなるんだ。
もうゲームオーバーなんだ。俺は。
若い頃には、俺は結構好き勝手やってきた。いろんな女と付き合ったし、いろんな遊びもやった。連戦連勝の時期だってあった。だが気が付けばもうすぐ40だ。あの頃絶対になりたくなかったシケたオヤジに見事になっちまった。
一度リセットするときが来たんだ。俺はロマンチストではないが、この世ではもう終わりにすることにした。来世では運もまた巡ってくるだろう。
この回のゲームに、俺はもう飽きたんだよ。



飛び降りるのにちょうどいい高さの断崖なんてなかなかあるものじゃない。
数日間歩きさまよってそう思った俺は、薬に頼ることにした。
別に高い断崖なんて無くても、ポケットの小瓶には致死量の睡眠薬が入っている。これをある程度飲んで、どこかの岩陰の波打ち際で横になって意識を失えば、潮が満ちたときにいい具合に波がさらってくれるだろう。別に飛び降りるのが恐いわけじゃない。

そんなことをブツブツと呟きながら砂浜から岩場の方へ歩いていたとき、少し離れた岩の上をふと見ると、誰かが寝ている姿が見えた。
ここ数日うろつき回ったけど、その岩場で人の姿を見たことは無かった。
砂浜の方にはチラホラと人がいる。9月とはいえ猛暑の今年は、こんな辺鄙な海辺の町の砂浜でも、元気のいい中学生がスクール水着で泳いでいたり、垢抜けないカップルのイチャつく姿を見た。
しかし岩場の方には、海岸線の国道からもかなりの距離を歩かなければならない為か、人の姿を見かけなかった。

少しずつ近づいていくと、岩の上に寝ているのは女だと分かった。
同じ岩の上に立ってみると、それは女の子だった。

俺は少しボーっとしていた。今日は風も無い晴天で、時刻はまだ正午過ぎ。目の前には、刺すように熱い日差しに照らされた青い海が広がっている。
こうして岩の上に立っているだけでも汗が噴出してきて、目を閉じると途端にバランス感覚を失って転落してしまいそうな気だるさが身を包む。
しかし、そこで寝ている少女の顔には汗ひとつ無い。とても涼しげに目を閉じ、口元には笑みさえ浮かんでいるように見えた。

そこに存在していたものは少女と、そして強力な違和感だった。
もしも、この岩の上にあるのが少女の人形であっても、いや死体であったとしても、こんなに違和感を感じるだろうかと俺は思った。
人形だとか、死体だとか、そんな想像できる範囲のものとは全く異なっている。
俺は、もう片足をこの世から踏み外してしまったかのような感覚に陥った。
毎日死ぬことばかり考えていたから、黄泉の国のものが、もうすでに見えるようになってしまったような気さえした。
年齢も、最初は高校生ぐらいだと思ったが、顔をずっと見ていると全く分からなくなってくる。その子には現実の時間の感覚さえ及んでいないかのようだった。
しかし、目の前の少女は確かに生身で生きていた。
すぐそばに近寄って身をかがめると、くーくーと、微かな寝息をたてているのが分かった。

俺は一瞬、我を失っていたようで、気が付いたときにはもう自分の手が少女の顔に触れていた。少女は目を覚ました。
自分が、彼女に睨まれていると気付いた次の瞬間には、少女はもう体を起こし、驚いたことに岩の上から海に飛び込もうとした。
俺は反射的に少女の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待てって、こっから飛んだらケガするって」
腕を掴まれた少女は体を強張らせ、何も言わずにまた俺の顔を睨んだ。だが、そのとき急に何かに気が付いたように俺から目線を外し、自分の足を見た。
少女は黒い皮のブーツを履いていた。夏の海岸にはかなり不似合いではある。脚にはひざ下までの長さでフリルの付いた白いズボンを穿いている。上半身は黒いノースリーブに見えたが、その下からはまた大き目の白いフリルが出ていて腰を覆っている。
女性のファッションに関心の無い俺にはかなり奇抜な服装に見えた。
都会の街中で見かければ違和感は無いのかもしれない。だがこの田舎の海岸ではかなりのズレ具合だ。
しかし、俺がさっきから彼女に感じている違和感は、そんな着ているものがどうこうといった違和感では到底無かった。

彼女は自分の脚をしばらく見つめていたかと思うと突然笑顔になった。
そして俺に何かを言おうとするように口を動かし、自分の脚をポンポンと叩きだした。
「なんだ?どうした。脚がどうかしたのか?」
彼女は俺の問いに応えること無くブーツを脱ぎ始め、真っ白な素足を見てまた嬉しそうに微笑んだ。それからしばらく、私の存在などまるで眼中に無い素振りで足の指を動かしながら、確かめるようになでたりさすったりを繰り返した。
まるで幼い子供が、生まれて初めて見る子犬か何かを、興味津々で抱き寄せるような目をしながら。



「おまえ、手をケガしてるじゃないか」
しばらく経って、やっとまたブーツを足に履かせている彼女の手を見て俺は尋ねた。
少女の左手の甲には強く打ち付けた様な擦り傷があった。かなり出血している。
しかし流れている血を見ても少女は特に痛がるふうでもなく、足元の岩を指差して、そこで打ってケガをしたんだ、とでも説明するような仕草をした。
俺は、彼女が俺の言っていることを理解し反応したことに少し驚き、「おまえ、名前は?口が利けないのか?」そう尋ねながら、持っていたハンカチを取り出して少女のケガしている左手にきつく巻いてやった。
少女は痛みに顔を顰めながら、自分の口を開けて指差し、頷いた。
どうやらこちらの言うことは理解するようだが喋ることは出来ないらしい。
しかし、不思議なことに字も読めない様子だった。名前を尋ねようと思って手のひらに字を書くように促しても、全く分かってくれない。
「名前だよ、名前を書いてくれよ」
そう言っても不思議そうな顔をして首を傾げるだけだ。それは、字が読めないどころか文字の存在すら知らないような、そんな素振りに見えた。
「おまえ、どっから来たんだ?」
名前を聞くのは諦めて、次にそう尋ねた。
すると彼女は、今度は笑って青い海を真っ直ぐ指差した。
「海?外国ってことか?」そう聞くと彼女は首を振る。そしてまた青い海を指す。
「なんだよ、ふざけてんのか?海から来たって?人魚じゃあるまいし」
突然、彼女は横に振っていた首を縦に振る。人差し指を立てて私に向け、それだ!大当たり!とでも叫んでいるかのように笑顔で頷いている。
「人魚?え、当たり?人魚なの?ははは、笑える」
彼女も笑っている。幼い子供のような屈託の無さで。
「え、マジで?はは、・・・もう、勘弁してくれよ・・・」
俺は面倒くさいものを拾ってしまったように感じ始めた。
この子は明らかに普通じゃない。邪気の全く無い表情はまるで赤ん坊のようだ。
もしこの子に普通の人間の想像力が備わっていれば、こんな表情を、初めて会った人間に向けられるはずがない。
相手にしないほうがいい。
俺はさっきからずっと自分自身にそう忠告し続けているのだが、なぜかここを立ち去る気持ちにもなれなかった。
なぜだかわからない。

彼女が腹を空かせていると気が付いたのは、彼女の腹が鳴ったからだった。
「ハハッ・・・、おまえハラへってんの?」
笑顔だった彼女は、急に鳴り出した自分の腹の音に顔を赤くして、笑った俺を上目遣いで睨んだ。
「なんだよ、ハラへってんならお家へ帰んな。ホラ、海なんだろ。家は」
俺を睨んだ彼女の目は思いのほか鋭かったが、その表情は急に元気を無くしてゆき、弱々しく口をパクパクさせながら何かを俺に伝えようとしている。
「何だよ、なんか食わせろってか?何だよ、魚か?人魚の食い物って。俺、魚なんて獲れねえぞ」

仕方なく、俺は彼女を連れて焼けるように熱せられた砂浜の上に降りた。
国道沿いに海水客用の小さな駐車場があって、その横にドライブインがあったのを思い出したからだ。俺はそこに彼女を連れて行くことにした。
もちろん、適当に何か食わせてやるつもりもあったが、それよりも店の人間や客に尋ねれば、少女の素性が案外すぐに分かるかもしれないと思ったからだ。そして家に連絡してもらえて、さっさと厄介払いができるんじゃないかと踏んだからだった。
彼女は最初、なかなか立ち上がらなかった。腹が減りすぎて立てないのかと思い肩を貸してやったが、歩き方も覚束ない。出来の悪いロボットのような足取りだ。
俺が腕を支えてやらないと真っ直ぐに歩くことができなかった。

俺は砂浜を歩きながら隣の奇妙な少女について考えた。
言葉は理解するのに喋れない。そして文字を理解しない。
自分の足を、まるで珍しいものでも見るような素振りをした。
何より、こんなに歩くのがぎこちないのに、あんな誰も行かないような岩場にたった一人でいたのも変だ。
どうにも奇妙な状況、行動が多すぎる。
そして、最初に眠っている彼女を見たときの、幻覚を見ているかのような違和感はなんだったんだろう。

俺はボンヤリと、子供の頃に見たアニメの映画を思い出していた。
そのアニメの中の少女も喋ることができなかった。
なぜならその少女は自分で願ったからだ。自分の声を失うことと引き換えにして人間の脚を持ちたいと。
誰に願ったのか。海の魔女にだ。

アニメで観た人魚姫の話では、人魚は海で遭難したどこかの国の王子を助けて、その王子に恋をしてしまう。そして海の魔女のところへ行き、自分を人間にしてほしいと頼むのだ。もう一度王子に会うために。
魔女は人魚の願いを聞き入れるが、たしか二つの条件を彼女に課した。一つは声を失ってしまうこと。もう一つは、もし、王子に愛されなければ人魚は泡になって消えてしまうこと。
それから・・・まだ何か条件があったような気がしたが・・・思い出せない。
ただ結末は覚えている。悲しい結末だ。それを見て幼い頃の俺は泣いたのだった・・・。
そこまで考えて、急にバカバカしくなった。
「ハハッ、冗談じゃねえ。アホらしい」

急に独り言を言う俺を少女が不思議そうに見る。アニメの人魚とは全く似ていない。あたりまえだ。普通の少女の顔だ。
「おまえ、好きな奴いんのか?」
ふざけた調子で聞いてみる。彼女は笑ったような困ったような顔をして首を傾げる。
「片思いだったら、やめとけよ。泡になっちまうぞ。・・・ってな。ハハッ」



ドライブインにたどり着き中に入ってみると、思ったよりも客がいた。7割ぐらいのテーブルは埋まっている。やはりカップルが多い。
俺と少女は、やはり相当奇妙な取り合わせに見えるようだ。見慣れないうさん臭い中年男と、それに寄り掛かる酔ったような足取りの子供っぽい表情をした少女。
客全員の注視が俺たち二人に向けられる。すぐに見て見ぬフリで自分達の会話にもどるが、店内の空気は少し固まった様な感じだ。
しかし少女はそんな店内の雰囲気にはお構いなしに物珍しそうに客を眺め、いや、客が食べている料理を見回し、とても嬉しそうにして落ち着きが無い。
席についても彼女はメニューなど見ない。他の客が食べている料理を、あれ、これ、と次々に5、6種類ぐらい指差して目で俺に訴える。
「ばーか。そんなに食えるわけねえだろ。一つにしろ」
そう言うと、驚いたことに彼女は涙目になった。
「おまえ・・・なんだよ。その目は」
彼女が悲しげな表情を見せたのは初めてだった。
「・・・ったく」
仕方なく彼女の指すもの全部を店員に注文する。そして、見た感じ店主の奥さんといった雰囲気の中年の女性に、この少女はこの町の子ではないのかと尋ねてみた。
しかし、店員の女性は少女を見たことが無い子だと言う。この店の常連客らしい男性客にも聞いてくれたが、誰も少女のことは知らなかった。

当ては外れた。知らないと言われてしまえばもうお手上げだった。
今、俺の財布の中には一万円ほどしか入っていない。この子の食った代金を支払うと、もう今日の宿泊費も残らない。それが俺の全財産だ。
まあ別に金のことはどうでもいい。どうせ今日を最後の日にするつもりだった。
ただ、この子と一緒ではどうにも身動きがとれない。こうして奇妙な印象も町の人間に与えてしまった。不審者として警察にでも通報されたらさらに厄介だ。
俺は、トイレに行くふりをして金を払って、少女に気付かれないうちに逃げてしまおうか、などと考えていた。

一方少女は、そんな俺の思いも周りの好奇の目も意に介さず、運ばれてきた料理を脇目も振らずただ食べた。
箸の持ち方も知らないらしいしフォークの握り方も変だった。物によっては手づかみでがっついている。近くの席の若い女性客がそれを見てクスクスと笑っている。
ただ不思議なことは、少女の振る舞いがそれほど下品には見えないことだった。
なんとなくだけど、それは人間が食欲を丸出しにしている嫌らしさとは、少し掛け離れたもののように見えるのだ。
テーブルいっぱいに並んだ皿の料理のほとんどを、彼女は一人で食べた。
俺の頼んだピザもあったが、それも半分以上を彼女に食べさせた。
どうやら彼女はピザがお気に入りのようだった。チーズを指差してうなずいている。それからエビももっと欲しがった。あと納豆パスタに喜んでいるように見えた。野菜はあまり好きじゃないらしい。少し残していた。

「あー、おいしかった!」
すごく自然な笑顔でそう言われたので、俺は思わず、そりゃよかった、と返しそうになるところだった。

「お、おまえ!なんだよ、喋れんのかよ!騙したのか!」
その俺の声の大きさで、店内のほとんどの客はもう見て見ぬフリどころじゃなくなった。
立ち上がってこっちの様子を窺う若い男もいた。
だが、少女は一切悪びれることなく、ぺこりと頭を下げながら、「ううん。いま喋れるようになったの。望みが叶ったから!」そう言って微笑んだ。
もはや俺達はこの店の関心の中心にいた。全ての客が、急に喋りだしたこの少女に興味を集中させているのを感じる。
「望みが、叶った?」
「うん。ありがとうね」

そう彼女が言った次の瞬間だった。布を引き裂く音が店内に響いて目の前のテーブルが揺れた。
先ほど少女の食べ方を笑ってた若い女が瞬きもせず少女の足元を凝視し、凍りついた様に固まっているのが視界の端に入った。
揺れたテーブルの下では、巨大な湿ったものがベタベタと床を叩く様な音がする。
何か得体の知れないものが、たった今足元に現れた。そう思った。冷や汗が額を伝う。
俺はロマンチストかどうか、そんなことはこの際どうでもいいが、普通の人間の想像力は持っているつもりだ。
「あっちゃー。もどるの早っ」
そう彼女が呟いた。
「そ・・・それじゃあ・・・おまえ・・・」
俺は恐る恐るテーブルの下を覗く。
そこには破れた白い布の切れ端と、転がった黒い皮のブーツが二つ、そして鮮やかに輝くピンクとオレンジ色のウロコをまとった、巨大な魚の尾があった。もちろん顔やエラは無い、尾だけだ。それは、俺の想像とほぼ同じ形でそこに存在した。
「・・・本物?」

一瞬の静寂の空白があり、次の瞬間、女性の甲高い悲鳴と共に店内は騒然となった。
有り得ないものを見た、といった様子で口を押さえて顔を見合わせる女達。立ち上がって騒ぎの元を確かめようとする若い男。子供の泣き声。そしてグラスの割れる音やイスの倒れる音。
俺は咄嗟に少女を抱きかかえた。
客の騒動に、逆に驚いてポカンと口をあけている少女を抱えて、叫んだり呆然としてる人々の間をすり抜けて出口に走った。
俺だってたった今テーブルの下に有り得ないものを見た。しかし俺は他の客と同じ立場で驚く側にいなかった。どちらかといえば、しまった、という後悔の気持ちに近かったかもしれない。

そうだった。彼女は最初からそうだったのだ。あの岩の上で寝ていたときから。
彼女は人の姿をしていただけで、人じゃなかった。
何で俺は、気楽にこんなところで向かい合ってこいつと飯を食えたんだろう。
全く自分がどうかしていた気になった。

それから俺は、自分でも可笑しいとは思うが、「すいませーん!これ、ドッキリでーす!テレビでーす!」と叫んでいた。よく咄嗟にそんな言葉が浮かんだものだと思う。
そして最後に「大成功!」と叫んで店を飛び出し、少女を抱えたまま砂浜へと全速力で駆け下りた。



少女は見た目の印象よりもずいぶんと軽かった。しかしここ数日間もロクに飯も食わず熟睡もしてない俺の体力は限界だった。
俺はフラフラになりながらも、何とか彼女を抱きかかえたまま元の岩場まで戻ってきた。そして岩の上で仰向けに倒れこんだ。
「だいじょうぶ?」
そう言いながらも特に心配してる様には見えない少女の顔がすぐ目の前にある。
「大丈夫だあ〜?んなわけねえだろ・・・」
体力は限界だし、精神的にも、さっきから自分の頭がおかしくならないのが不思議なぐらいだった。
おそらく今頃は、店にいたやつらの頭もパニックだろう。
人が追いかけて来る様子は今のところ無かったが、テレビだとかドッキリだとか、咄嗟に出たそんなウソであの状況がごまかせたとは思えない。
店に及ぼした被害はかなりのもんだし、もちろん金も払っていない。警察には通報されるだろう。いつまでもこの場所に居続けるわけにもいかないと思った。
俺はなんとか息を整えながら体を起こし、相変わらず汗ひとつ掻かず涼しげな少女の顔をのぞき込む。
「おまえを警察に渡したら、俺はどうなるんだろうな」
「・・・警察?」
「迷子の人魚を保護して飯を食わせてやった善意の第三者、って感じで、放免してくれるかな・・・」
そう言いながら、彼女の前髪から覗く丸いおでこを軽く小突く。
彼女は笑いながら舌を出して前髪を掻き揚げる。
「・・・んなわけねえか」
俺も笑うしかない。

俺は再び少女を抱きかかえ、国道や砂浜より反対方向の、より険しい岩場の方へゆっくりと歩き出した。さっきの騒動から出来る限り遠ざかるために。
そして少し気持ちが落ち着いてくると、飯を食ってからずっと落ち着いた顔をしているこの少女に腹が立ってきて、いろんな疑問が次々に湧き起こってきた。
俺には、とりあえず確認しておかなければならないことが山の様にあった。
「・・・おまえあのとき、望みが叶ったから、って言ったよな」
岩から岩へ、慎重に歩を進めながら、少女に話しかける。
「えっ?」
少女は実に安らかな満ち足りた顔で、話しかけなければ寝てしまうんじゃないかと思うほどだった。
「最初に喋ったときだよ。望みが叶ったから、喋れるようになったって言ったろ」
「うん。望みが叶わなかったら、今頃は泡になってたよ。私」
素の表情で少女はそう言った。なんでもないことのように。
もう俺は観念するしかない、と思った。そしてさっきまでバカバカしいと思っていたことを、聞くしかなかった。
「海の魔女の、かけた魔法か?」
「うん。いいオバサンなんだけどねー。ちょっと融通きかないとこ、あるよね」

観念してみると、この子に対するあらゆる疑問は実に腑に落ちるようになる。
あんな所に一人で寝ていたという状況。言葉は理解するのに喋れない。自分の足を初めて見たような仕草。歩き方もよく分からない様な態度。
すべて受け入れれば、少女は実にしっかりとした現実として目の前に存在し始める。
この子は本物の人魚だった。
だがしかし、それならそれで言っとかなければならないことはある。俺がロマンチストかどうかとか、そういう問題ではない。
「人魚の望みが、人間のメシを食うことって、どういうことだよ!」
「えっ。ヘンかな?でも、食べることだけじゃダメだよ。食べて、ちゃんと美味しいと思えなきゃ、望みが叶ったってことにならないんだから」
「ちがう!そこは王子様に恋だろ、ってことを言ってんだよ!」
「またそれ?魔女のオバサンもおんなじこと言ってたー」

恋したのが人間じゃなく人間の食い物だった、という部分さえ間違わなければ、確かに彼女は人魚姫だ。
俺からしてみれば、一人で陸に上がって人間の食い物にありつけて、さらに美味いと思えなければ泡にされるなんて、またとんでもなくリスキーな挑戦に出たもんだと思う。
岩の上で誰にも気付かれなかったらどうするつもりだったんだろうか。
俺の頭には、ドライブインでこの子から魚の尾が生えてきた場面が、この子が泡になって溶けてしまう状況に置き換わって浮かんできた。
まあ、ホラーだな、と思った。そうなってたら多分、数人の失神者ぐらい出てただろう。俺も正気でいられたかどうか・・・。
アニメでは人魚姫はどう泡になってたか思い出せないが、多分キレイな場面なんだろう。しかしこれは現実だ。

それからいろいろ話しを聞いてみると、彼女もアンデルセンの「人魚姫」は知っているということがわかった。
あの童話は多くの部分が実は本当にあった話で、海の中の人魚の世界でも、人間の世の中が垣間見れる悲劇のお話として語り継がれているらしい。
現代の人魚姫のこの少女も、人間の世界に興味を持ち、一生を人魚として海の底で暮らすだけの自分の生涯に疑問を持ったという。
「だって、海の中の食べ物って、味気無いんだから。魚か貝か、イカ、タコ。ま、エビは好きなんだけどね。でも基本ナマものだけだし・・・」
まあ彼女の場合は、大部分が食生活への疑問の様だったが・・・。
彼女はさっき食べた料理の一つ一つを思い出して、色や形や、香りや温かさを幸せそうに喋った。そしてまたいつか、必ず食べに行きたいと言った。

それから俺が一つ持った疑問点に、なぜ服を着て岩場で寝てたのか、というのもあった。もちろん童話では裸だったし、人魚が海の中で服を着て泳いでいるのもおかしい。
「それだけは唯一ハズせない要望だったの!魔女のオバサンに頼み込んだの!服は着せといてって」
そう言って彼女は真顔だ。
「・・・だって、私、スタイル良くない・・・でしょ?」
そこまで融通きかせてくれりゃ魔女のオバサンに文句はねえだろ、と思ったが、口に出すのは止めた。童話と現実の、まあ、些細なギャップだろう。

それ以外にもまだ疑問は残る。
「童話の人魚姫は王子に好かれなかったから泡になった。そういう結末だよな。
でももし望みが叶って王子に好かれていたら、人魚姫は当然人間のままで王子と結婚して、めでたしめでたし、になってたんだろうな?」
少女は食い物ほどには恋話に関心ないらしく、そっけなく言った。
「うん。その場合、その人魚さんはそうしたでしょうねー。」

俺の疑問は、この少女は願いを叶えたのに、また人魚に戻ったことだった。
人間の食い物が気に入ったのなら、そのまま人間でいればいい。もっといろんなものを食うことが出来て、めでたしめでたしだ。

少女が願いに行った魔女の話によると、願いが成就されればどちらでも選べるんだそうだ。そのまま人間で暮らすもよし。元の人魚に戻るもよし。
過去の人魚の中には、人間に恋をしたのに、ちょっと付き合って飽きちゃったら元の人魚にもどる、なんてことをしたツワモノもいたそうだ。
「へえ、じゃあおまえはなんで人魚に戻ったんだ?やっぱり人間より人魚の生活の方がイイと思ったのか?」
その俺の問いに、少女は初めて困った顔をした。
自分でもそのことには戸惑いを感じている様だった。
「・・・ううん。ちがうの。思い出したから」
最初は困ってる顔に見えたが、しばらく見てると頬を赤くしているのが分かる。彼女は恥ずかしがっている様だった。
うつむいて頬を染める彼女を見て、俺は初めて、この少女が可愛かったことに気が付いた。
「なんだよ・・・。思い出したって」
「魔女のオバサンが最後に言った、望みが叶わなくなる、もう一つの条件・・・」
「もう一つの?なんだ、それは」

「・・・もし、浮気をしても、おまえは泡になるよ」


・・・つまり、こういうことだった。
あの瞬間、彼女は食べ物が美味しいと思ったのと同時に、もう少し、この俺と一緒にいたい、と思ったらしい。
もし彼女が、食べ物が美味しかった、としか思わなかったら、何もあんなところで人魚に戻って大騒ぎになることはなかった。あとで一人になって、ちゃんと海に入ってから、人魚に戻りたい、と心の中で願えばいいし、もし人間のままでいたかったなら、ゆっくりとお茶でも飲みながらそう願えばよかったのだ。
しかし彼女は、思ってしまったらしい。この目の前の人間と、もうしばらく一緒に・・・と。
それが、魔女の言う「浮気」かどうかは、恐らく誰にもわからない。
そんなことは彼女にも、いやひょっとしたら魔女でさえも判断できないだろう。
なにせ本命が「食べ物」なのだから。
だけど、彼女はそのときヤバイと思ったのだ。
だからこそ慌てた。心の中で呟いてしまった。
今、望みは叶いました。私を人魚に戻してください、と。

俺は声を出して笑った。
少女を抱きかかえたまま座り込み、そのまま岩の上に寝転がって、大声で笑った。
最高だと思った。傑作だった。
人生の終わりの果てまで来て、こんな面白い話を自分が演じられるとは、こんなに面白い体験をさせてもらえるとは思ってもみなかった。
今まで散々好き勝手に生きてきた。
友人もいなくなった。恋人もいなくなった。信じられる人間なんてどこにもいなくなった。金も地位も名誉も誇りも何も残ってない。
そんなしょうもない人生の終わりに、ひとりの男が、人魚を抱えて、喚き散らして、退屈な日々を送る平和なヤツらをパニックにさせながら走り回った。
あのときの俺の慌てぶりも、そしてそれ以上の、周りにいた客のあの仰天ぶりも、見たことがないぐらい滑稽だった。まったく見事な喜劇だった。
そのうえ、それを引き起こした原因が、このトボけた人魚の気の迷いだったなんて。
もう最高にバカバカしくて、そして最高にくだらない。

神様も粋なことをする。
こんな人生の最後になって、俺と一緒にいたいと思ったのが人魚だったなんて。

さっきから一人で笑い転げている俺を少女が不思議そうに見つめていた。
岩の上に座って首を傾げ、腰から下の魚の部分を少しくねらせてこちらを見ている。
その姿は、まさしく童話のとおりの人魚の姿だった。
最初に彼女を見たときに感じた違和感は、今はもうどこにも無かった。

俺はもう好きなだけ笑って、スッキリとした気持ちで立ち上がった。
胸の中はもうカラッポだった。本当に、もう思い残すことは何も無かった。
今夜には、もうこの世からオサラバできるだろう。そんな確信があった。



ふと、座り込んだ岩の上から前方を見下ろすと、そこに岩に囲まれて小さな入り江のようになっている場所があるのに気が付いた。
岩を伝って下りれば波打ち際まで行けるし、入り組んでるから人目から逃れるのにも好都合だった。
少女を海に帰すにはちょうどいい場所だと思った。
そして自分の探していた、最後の場所としても。

俺はふたたび少女を抱きかかえて立ち上がり、その場所に向かった。
日はもうかなり西に傾いている。
真っ青だった海はオレンジ色の光に覆われ始めている。

波打ち際まで下りてきたとき、腕の中の少女がささやいた。
「ねえ、私、お礼しなくちゃ。あなたに」
礼を言いたいのは俺の方だった。
礼なんかいらない、と俺は首を振った。
「いいからいいから。ね、目を閉じて・・・」
彼女はそう言って、いたずらっ子のような目で笑った。
「絶対、開けちゃダメだからね」
俺は言われたとおり目を閉じてやった。人魚のキスか、それも悪くないな、と思った。
すると彼女は思いがけないことを言った。
「ね、舌を出して・・・」
えらく大胆だ、と思ったが、俺は言うことに従った。

だが、出した舌の先に感じたものは、想像した柔らかい唇ではなく、少し硬い肌触りと、しょっぱい海水の様な、鉄の味の様な何かだった。
分けがわからず目を開けた俺の顔の前にあったものは、彼女の手の甲だった。
最初に会ったときにハンカチで縛ってやった、ケガをしていたあの左手だ。
そのハンカチを彼女が外して、傷口に滲んだ血を俺に舐めさせたのだった。
「えっ、おい・・・」
分けがわからず問い直そうとした俺だったが、その前に彼女は右手で俺の肩を掴んで反動をつけ、思いっきり体を反らし海へと飛び込んでしまった。

「おい、なんだよ今の?」
キスを期待してた自分がかなり恥ずかしくて、俺は頭を掻きながら彼女に聞いた。
彼女は波に揺られながら黒いノースリーブを脱ぎ捨て、恥ずかしそうに微笑んでいる。
「知らないの?人魚の肉を食べるとね、人間は不老不死になれるの。
・・・あんまり広めてほしくない話だけどね」
そう言われれば、なんとなくそんな話は聞いたことがあった。
昔読んだ本だったか・・・確か日本の言い伝えだったように思う。
彼女は続けて言った。
「それってね、人魚の血を飲んでも同じ効果があるの」

・・・え?なんだって、効果?効果って・・・。

「お、おい、待てよ、・・・じゃ、俺は・・・」

「うん、そういうこと!じゃあね!」

彼女はオレンジ色に染まった海に消えた。





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コメント(4件)

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あの写真1枚から、こんな素敵な物語を誕生させるなんて ・・・ サカモトさん、あなたは素晴らしい。

多部さん、こんなおじさんもいるんだからね、そこのところヨロシク!(笑
rakuyou
2010/10/14 15:46
ブラボー ブラボー!!
久しぶりのサカモト・ワールドにしびれました。

で、死なないのだから、海に飛び込んで人魚の後を追うわけですね(笑
yamarine
2010/10/14 23:40
毎度読んでいただきまして、ありがとうございます。

>こんなおじさんもいるんだからね

いや、怒られますよ・・・。また多部さんで遊んじゃったし・・・。
また食い物ネタだし・・・(笑
サカモト
2010/10/15 02:59
長文読んでいただきまして、ありがとうございます。

>海に飛び込んで人魚の後を追うわけですね

なるほどですね。窒息死もないからどこまでも追いかけて、人魚の世界でまた一騒動。
ノースリーブも脱いじゃったし(妄想
・・・いや、もう書けないですよ(笑
サカモト
2010/10/15 03:06

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